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木造家屋の倒壊で、筆者も、倒壊家屋が多かった神戸市の東灘区で何人かの被災者から話を聞いたが、揺れはじめてからわずか数秒のあいだに一挙に倒壊したものが少なくなかったということであり、老朽化した木造アパートの一階、屋根の重い平屋建てなどを中心に、多くの犠牲者を出してしまった。ある新聞記事によれば、震災における死者のほぼ9割は家屋倒壊による圧死、またその6割が即死だったといわれる。被害の特徴の第二は、300件近くにのぼる火災の発生である。そんなに多くの家庭で火気を使用していたとは思われない時刻に地震が発生したにもかかわらず、関東大震災のときの東京都の火災発生件数(135とも150ともいわれる)を大きく上回ってしまった。しかも、水道管の破裂によって消防活動がほとんど不可能になったため、そのいくつかは延焼火災となってただ自然鎮火を待っだけという状況になり、結局44万平方メートルを焼失した神戸市長田区を中心に、およそ7000棟が焼失してしまった。死者のうちほぼ1割は焼死だったともいう。
第三の特徴は、高速道路、新幹線、地下鉄など、わが国の土木技術の粋をつくした近代施設があっけなく崩壊してしまったことである。芦屋市内や湊川インター付近の阪神高速道路の破壊、尼崎付近での新幹線の高架の落橋、神戸高速鉄道大開駅での地下鉄破壊など数えあげればきりがない。とくに注目されたのは、神戸市東灘区深江南町付近の高速道路であり、筆者も、大の男が2,3人かかっても抱えきれないほど太い橋脚が、20本近く折れてちぎれているのをこの眼で確かめたとき、技術者が言い続けてきた土木施設の「安全神話」とはいったい何だったのか、という疑念を禁じえなかったのである。
そして第四の特徴は、今回の震災では、被災者の救出や消火活動において政府や地方自治体の初動態勢と被害情報の収集が大幅に遅れ、そのことが被害の増幅につながっていった、ということである。ソフト面からみたとき、おそらくこれがもっとも大きな特徴だったといえるだろう。
(2) 防災機関の被害
では、どうしてこのような事態が生じてしまったのだろうか。
その第一点は、応急対策にあたるべき防災機関自体が地震によって甚大な披害を受け、そのため初動態勢が決定的に遅れたということである。以下、その一例として神戸市や兵庫県のケースをとりあげてみたい。
今回の地震が発生したのは1月17日午前5時46分だった。地震前の「神戸市地域防災計画」では、震度5以上の地震が発生すると、すべての職員がただちに登庁して災害対策にあたることになっていた。しかし、今回の地震では職員自身、あるいは職員の家族や自宅が大被害を受けたため、市が災害対策本部を設置した午前7時時点で、わずか10人しか職員が集まらなかったという。結局、災害当日に持ち場に付けた職員は4割にすぎず、建物

 

 

 

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